事柄は昨日のことです。
私にとっては、法律家として、実務という面でのはじめての仕事・・・でもないんですが、父の言葉を借りれば、「活きた経験」と言うべき事柄がありました。
私の元に来た、一つの依頼。
依頼人(クライアント)は、直接は私の母ですが、母を通して、母の仕事仲間であり、私の主治医でもあるN先生からの依頼でした。依頼内容は、今度先生が、とある民事訴訟の被告側証人として証人喚問を受けるにあたり、担当の弁護士が用意した応答用の原稿の添削、ならびに喚問を受けるに当たっての疑問点、及び不明な点に関する回答というものでした。
いままで、ここで書いたり、論じたりしてきたことは、あくまで「初学者としての論」なのです。そしてそれはデスクワークによる知識から、という域を一歩も出てはいません。私はいまだに初学者であり、ただの法学部卒、というだけです。言わば、頭でっかちの青二才のたわごとにすぎません。何の裏づけもないし、言いたいことを言っているだけに過ぎません。経験というのは、それだけ大切なことだと思っています。そしてそこから一歩出ることのできる機会が、訪れたわけです。
診療所に行き、まずは先生に弁護士の用意してくれた原稿を見せてもらいました。内容に関しては、私も弁護士における守秘義務に基づき、割愛させていただきます。事件に関する概要は、おおよそ母親から聞いていたので、事件のどの点における喚問であるのか、それはおおよその見当がついていました。担当する弁護士は名前はあげませんが、元々医者であり、かつ弁護士資格をもち、かなり医療における分野では実績のある、ベテランの弁護士の方です。その弁護士の方の用意してくれた原稿です、さすがだなぁと思わざるを得ませんでした。ところが、その「さすが」な文面が、今回は却って裏目に出てしまったのです。主張を正確に言い表すために、文章が文語体で、かつ、まわりくどい言い回しといいますか、そういうような文章で綴られていました。きっとどんな訴訟においても、原稿段階ではこんな感じなんだろうと思います。それを先生に説明するのが、今回の私の仕事なのです。
先生はまず言いました。
「自分が言いやすいようにしたいんです。でも、私がそれを言うことで、証言そのものが不利なことをいってしまわないか、それが不安なんです。」
もらった原稿もかなりの範囲で書き直しがされていました。じつは、先生は日本人ではありません。ですから、なおさらまわりくどい表現をするのは、先生にとっては苦痛なのでしょう。
私は結論から言うのがクセなので、先に結論から言いました。
「もう、全然、一向に構わないと思いますよ。」
先生は多少安堵の表情をしました。もちろん私はその理由を言わなければなりません。私が言った理由、および解消方法は以下の通りです。
まず、原稿というのは、あくまで教科書方式の回答にすぎません。論点さえ抑えてあれば、発言・主張の意図を大きくはずさない限りは、めったに有利不利に影響するような発言になりません。先生が次に、意図というのはなんでしょう、と尋ねられました。意図というのは、質問をする人=つまり双方の弁護士が、先生からいってほしい、あるいは言わせたいことがあるということです。極端な言い方をしました。先生は自分の担当弁護士の質問に関しては、全て「YES」でいいのです。またそういう尋ね方をします。向こう側の弁護士の質問に関しては、基本的には全て「NO」でいいのです。ただし、一般的、あるいは普通では、という事柄に関しては「YES」で構いません。なぜ?という問いに答えました。それは先生が一般的に当然に実務をこなしていて、その分野において一般的な事柄に関しては、証拠能力を有するということを印象づけるためです。
それともう一ついいました。もし、向こう側の言うこと、質問がわからない場合、「わからないからもう一回」でもいいのです。要するに証拠能力を弱めたいという意図があるので、向こうも「わからないことに回答した」という事実があっては困るわけです。ですからわかるまで言う義務があります。
先生の顔が、どんどん和らいでくるのがわかりました。そこでまた事件に関して、先生は話をされました。どんなことがあったのか、そして自分がどうしたのか・・・。恐らく、相当気に病んでいたのでしょうね。私の知らなかった事実もありました。直接今回の喚問には関係ない話もありました。でもこれでいいのです。私は先生の心を開くことに成功しているのです。今はとにかく、どんな細かいことでも話させなければ・・・。普通の人でさえ緊張する、あの法廷に立つのです。少しの不安もあってはならないのです。
そして再び、先生の問いがありました。
提訴されているのは、法人単位で訴えられているわけですが、例えば敗訴となった場合、先生個人に請求がくるのかどうか。
結論でいえば、可能性がないとは言えません。0(ゼロ)ではないということです。ですが、ほとんどその心配はありません。なぜなら、裁判の趣旨に反します。それに例えば所属していた(先生が病院にいたころの事件なので)ことを根拠にされたとしても、不遡及の原則(その時点に遡って、請求することはできない=民法より)がありますし、また義務もありません。
概要はこんなところですね。先生は始終、そういう事件があったことに心を痛めておられました。両親からN先生は、「真面目が服を着ているような先生だ」と聞いていましたが、ものすごく納得がいきました。
さらに先生は医療のシステムがまだまだ不完全であることを危惧しておられました。
一通り終わった後、診療所を建てるに至ったところのエピソードを色々聞けました。もうこのあたりでは、どこにでもいるふつーのおぢさんです(笑)(失礼^^;)母とはじめて会ったとき、しばらくケンカしまくてったことや、色々な苦労をしてきたこと・・・母がこれまで話してきたことの繰り返しですが、聞いてて思わず笑ってしまうようなことも。。
最後に先生が言った言葉が、印象的でした。
「医療とは医者だけではできない。医者・看護師・事務、いろいろな人が力を合わせて、はじめてできることなんです。その中で、「看護」の部分を確立させた、キミのお母さんはとても素晴らしい人だよ。」
帰り道、母と話をしながら帰りました。母はその中で、今一番良いカタチで仕事ができている、思ったとおりのことができてる、私がしたかった仕事はこういうものなんだと言いました。私も先生と話をしているとき、そこのところがよぎりました。今まで自分がチームで仕事をしていた、それで最終的に求めるものはなんなんだろう、と。人は独りでは生きていけません。それはどんな分野でもそうだと思います。そしてそれが、今、最高のカタチで、私の目の届くところで行われていたのです。
そして最後に・・・・
話し合いそのものは、たった一時間半程度のものでしたが、この時間が、私にとって大きな意味のある時間であったことは確信しました。この経験が、法律家として私の原点になると思います。そしてこの先、何が起ころうとも、私はこのときのことを永遠に忘れてはならないのです。
霧は晴れました。
雲は消えました。
私の中に、一筋の光明が見えました。。
私は、弁護士になります!
P.S
この文章を書き始めたのは日が高かった・・・w
途中で、お掃除しました。
お昼を食べました。
買物にも行きました。
きづいたら夜になってました。
=みんなでご飯を食べに行きました。
・・・で、今ようやく書き終えました・・・o(_ _ o)